2026年5月、東京グローブ座にて、
舞台『リプリー』を観劇してきたかてこさん。
原題は『THE TALENTED MR RIPLEY』。
1960年のアラン・ドロン主演映画『太陽がいっぱい』、
1999年のマット・デイモン主演映画『リプリー』、
近年ではNetflixシリーズとしても映像化されてきた、
パトリシア・ハイスミス原作の不朽の名作です。
そんな『リプリー』が、今回ついに日本初上演。
これは気になる……ということで、かてこさんも劇場へ足を運んできました。
主人公トム・リプリーを演じるのは、上田竜也さん。
演出は、宮田慶子さん。
長く映像作品として親しまれてきた物語が、
舞台上でどのように立ち上がるのか。
今回は、嘘、羨望、執着、そして“なりすまし”が交錯する、
心理サスペンスとしての舞台『リプリー』を振り返ります。

(2026年かてこさん撮影:東京グローブ座前にて)
息をするように嘘をつく青年、トム・リプリー
物語の舞台は、1950年代初頭。
ニューヨークで自堕落な日々を送っていた青年、
トム・リプリー。
彼は、息をするように嘘をつく男。
そんなトムのもとに、ある富豪から依頼が舞い込みます。
イタリアで放蕩生活を送っている息子、
リチャード・グリーンリーフを連れ戻してほしい。
その依頼を受け、トムはイタリアへ。
ナポリ、ローマ、サンレモ。
美しい土地をめぐりながら、トムはリチャードへと近づいていきます。
最初は任務として始まった関係。
しかし、リチャードの自由で豊かな暮らし、
周囲から愛される存在感、
自分にはないものを当然のように持っている姿に触れるうちに、
トムの中には羨望と執着が入り混じった感情が芽生えていきます。
やがて、その思いは、
「彼のそばにいたい」ではなく、
「自分こそが彼にふさわしい」
という危うい欲望へと変わっていくのです。
上田竜也さんのトム・リプリーが、はまり役だった
かてこさんがまず印象に残ったのは、
主人公トム・リプリー役としての上田竜也さんの存在感。
今回のトムという人物は、
単純な悪人ではありません。
嘘をつく。
人を欺く。
やがて、取り返しのつかない行動に出る。
けれどその一方で、
どこか精神的に弱く、不安定で、
いつも何かに怯えているようにも見える人物です。
上田さんのトムは、
その“危うさ”がとてもよく似合っていました。
嘘をつくときの軽やかさ。
人の懐に入り込むときの自然さ。
追い詰められたときに見せる脆さ。
そして、狂気へと傾いていく瞬間の怖さ。
トムは、観ていて決して共感しやすい人物ではありません。
それでも、なぜか目が離せない。
「この人は、次にどんな嘘をつくのだろう」
「どこまで逃げ切ってしまうのだろう」
「本当の彼は、どこにあるのだろう」
そんなふうに、観客をトムの不安定な内面へ引き込んでいく力がありました。
狂気だけではなく、弱さも見える主人公
トム・リプリーは、物語の中で人の命を奪います。
その行為だけを見れば、
彼は明らかに恐ろしい人物です。
けれど舞台で描かれるトムは、
ただ冷酷で、狂気的なだけの人物ではありませんでした。
むしろ、精神的にはどこか弱い。
自分に自信がない。
本当の自分では誰にも認められない。
だからこそ、誰かの人生に入り込み、
誰かの名前を借り、
誰かになりすましていく。
その姿には、恐ろしさと同時に、
人間の弱さのようなものもにじんでいました。
もちろん、だからといって彼の行為が許されるわけではありません。
ただ、完全な怪物として突き放すのではなく、
「なぜ、そこまでして別の誰かになりたかったのか」
を考えさせられるところに、
この作品の不気味な魅力があったように思います。
1950年代だからこそ成り立つ“なりすまし”の怖さ
今回の物語で面白いと感じたのは、
時代背景です。
1950年代初頭。
今のようにスマートフォンも、SNSも、
オンライン上の本人確認もありません。
だからこそ、
名前を偽ること。
身分を偽ること。
手紙や会話の中で別人になりすますこと。
そうした嘘が、現代よりもずっと通用してしまう。
もちろん、今の時代にもなりすましや詐欺はあります。
けれど『リプリー』で描かれる怖さは、
人と人との距離が近いようでいて、
実は情報の確認手段が少なかった時代だからこその怖さです。
誰かの服を着る。
誰かの声色をまねる。
誰かの筆跡や話し方をなぞる。
そして、少しずつ“その人”として扱われていく。
その過程が、
舞台上でじわじわと積み重なっていくのが印象的でした。

(※画像はイメージです。)
大きくない劇場だからこそ、心理の圧が伝わる
今回の劇場自体は決して大きすぎる空間ではありません。
けれど、その限られた空間を、
映像や奥行きを使いながら、とても上手く活かしていた印象です。
舞台上に広がるのは、
ニューヨーク、イタリア、海辺の街、室内、逃亡の気配。
本来であれば映像作品のほうが表現しやすそうな場所の移動も、
舞台ならではの転換や映像演出によって、
自然に物語の流れへ組み込まれていました。
特に、奥行きを使った舞台展開が印象的。
広大なイタリアを舞台にしているはずなのに、
どこか息苦しい。
その感覚が、
トムの心理状態とも重なって見えたのかもしれません。
映像作品とは違う、舞台版『リプリー』の面白さ
『リプリー』は、これまで何度も映像化されてきた作品です。
映画で観たことがある方にとっては、
「舞台でどう見せるのだろう?」
という興味も大きい作品かもしれません。
舞台版では、
映像作品のように風景を大きく見せるというよりも、
人間関係の緊張感や、
トムの内面の揺れに焦点が当たっているように感じます。
誰が、誰を信じているのか。
誰が、どこまで疑っているのか。
トムの嘘は、いつ崩れるのか。
登場人物たちの会話や視線の中に、
少しずつ不穏さが積み上がっていく。
その意味で、舞台版『リプリー』は、
派手な事件の連続というより、
人間の内側にある歪みをじっくり見せる作品でした。
かてこさんにとっても、
「舞台としてうまくまとまっていた」と感じられる一作だったようです。
結末の先を、観る側に委ねる不穏な余韻
舞台では、すべてが完全に解決するわけではありません。
罪が裁かれるカタルシスがあるわけでもない。
悪が明確に断罪されるわけでもない。
むしろ、
「このまま、彼は本当に逃げ切ってしまうのか」
という不穏な余韻が残ります。
でも、それこそが『リプリー』という作品らしさなのかもしれません。
トム・リプリーは、
嘘を重ね、誰かになりすまし、
自分の居場所を作ろうとする人物。
彼の才能は、決して明るいものではありません。
けれど、
その危うい才能があるからこそ、
観客は彼を見続けてしまう。
嫌悪感と興味。
恐ろしさと魅力。
理解できなさと、どこかにある人間らしさ。
その相反する感情が残る舞台でした。

(※画像はイメージです。)
観劇初心者にも伝えたい、心理サスペンスとしての見応え
舞台『リプリー』は、
明るく楽しい作品ではありません。
笑ってすっきりする舞台でもありません。
けれど、
人間の中にある羨望や執着、
「自分ではない誰かになりたい」という危うい願望を描いた、
見応えのある心理サスペンスでした。
物語としては犯罪を扱っていますが、
その奥にあるのは、
人間の弱さや孤独、承認されたい気持ちなのかもしれません。
そして何より、
主人公トム・リプリーという人物を、
上田竜也さんがとても魅力的に、
そして不気味に立ち上げていたことが印象に残ります。
映像で知られている名作を、
舞台という限られた空間でどう見せるのか。
その挑戦がしっかり形になっていた一作でした。
観終わったあと、
「怖い人だった」だけでは終われない。
なぜ彼は、あそこまで嘘を重ねたのか。
なぜ彼は、他人の人生を欲しがったのか。
そして、もし誰にも見抜かれなければ、人はどこまで別人になれるのか。
そんな問いが心に残る舞台でした。
ステージに立つ人、その世界を創り上げるすべての人に、心から拍手を。
(Coffee break…)
こんな心理サスペンスの後には、熱くて濃い一杯を。
関連作品
舞台『リプリー』を観て、トム・リプリーという人物の危うさや、物語のその後に残る不穏な余韻が気になった方は、映像作品や原作小説に触れてみるのもおすすめです。
1999年公開の映画『リプリー』では、マット・デイモンさんがトム・リプリーを演じ、ジュード・ロウさん、グウィネス・パルトローさんらとともに、羨望や執着が少しずつ歪んでいく心理サスペンスを映像ならではの美しさで描いています。
また、原作であるパトリシア・ハイスミスの小説『太陽がいっぱい』では、トムの内面や、他人の人生に入り込んでいく不穏な過程を、よりじっくり味わうことができます。
舞台版を入口に、映画版・原作小説それぞれの『リプリー』を見比べてみると、同じ物語でも印象の違いが楽しめます。
舞台ファイル:舞台『リプリー』
今回、かてこさんが赴いた日程は以下の通りです。
【公演名】舞台『リプリー』
【公演期間】2026年5月6日 ~ 2026年5月24日
【会場】東京グローブ座
【原作】パトリシア・ハイスミス
【舞台脚本】フィリス・ナジー
【演出】宮田慶子
【主催・企画製作】東京グローブ座
【キャスト】
トム・リプリー:上田竜也
リチャード・グリーンリーフ:木村了
マージ・シャーウッド/ソフィア:潤花
フレディ・マイルズ/マーク・プリミンガー:板倉武志
ファウスト/シルヴィオ/レディントン:長友郁真
エミリー・グリーンリーフ/ドッティ叔母さん:川上麻衣子
ハーバード・グリーンリーフ/テネンテ・ロヴェリーニ:鶴見辰吾
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